リリー インスリン50年賞

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リリー インスリン50年賞

日本イーライリリーは、インスリン治療を50年以上継続されている糖尿病とともに歩む人の長年の努力を称えるとともに、ほかの糖尿病とともに歩む人にとって前向きに取り組む目標となることを願い、「リリー インスリン50年賞」の表彰を2003年に始めました。これまでに265名が受賞されています。受賞者の皆さんにはご本人のお名前を刻印したトロフィーをお贈りしています。

第22回(2024年) 受賞者のご紹介

本年は25名の方が受賞されました。
そのうち、情報公開のご了承をいただいた受賞者15名をご応募いただいた順にご紹介します。
※内容は個人としての見解です。

◆永井 昭 様

インスリン治療歴60年/発症時2歳/1型糖尿病/神奈川県在住

 私が糖尿病を発症したのは2歳8か月の時で、長引く風邪で体重が激減し、緊急入院しました。その後3日間の昏睡から生還し、半年程入院することとなりました。その頃の記憶はありませんが、当時は小児糖尿病の症例も少なく、主治医も手探り状態だったと思います。退院後はインスリン注射のため、小学校入学までは毎日、母に連れられて病院に通いましたが、注射よりもなかなか来ないバスを待つのが一番嫌でした。「成人までは生きられないだろう」と宣告されていましたが、闘病生活が忙しくて、思い悩んだことはありませんでした。
 近年の、糖尿病に特化した医療環境の発達には驚くばかりで、特にペン型インスリン注射器と自己血糖測定器の登場は、私の社会生活を劇的に変え、励みにもなりました。医療行為の足枷が外れた様で、仕事に遊びに、思い切り打ち込めるようになりました。一年を通してスキー、ウィンドサーフィンを40歳の結婚まで楽しんで来ました。厳格な食事療法はしてきませんでしたが、常に腹七分目を実践し、血糖値に一喜一憂しない事です。精神状態も血糖値に現れますからね。こんな大雑把な血糖コントロールですが、大きな合併症もなく糖尿病歴60年となりました。

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50 insulin award 2024 nagai

◆志田 由紀子 様

インスリン治療歴50年/発症時4歳/1型糖尿病/大阪府在住

 4歳で糖尿病と診断され、医師からあとどれぐらい生きられるかわからないと聞き、私の人生は終わるんだと絶望しました。
 子供のころに診ていただいた先生、そして現在の主治医の先生の方の治療方針、考え方があったおかげで、インスリン治療を始めてから50年目をむかえることができました。
 皆様、本当にありがとうございます。

◆矢野 浩伸 様

インスリン治療歴50年/発症時2歳/1型糖尿病/愛媛県在住

 診断された当初は幼少のためあまり記憶がありませんが、田舎のため幼稚園(保育園)が少ない中、病気を理由になかなか受け入れてもらえず、両親の根気強いお願いのおかげで何とか通園できる様になったことを記憶しています。通院も専門の先生が近くにおられないため、数年ごとに小児科と内科を変わらざるを得ない状況でした。今の様に情報がない45年程前に、両親のおかげで熊本県小児糖尿病サマーキャンプを知り参加したことが、病気に対しての気持ちの大きな変化となりました。
 愛媛県のサマーキャンプで出会った、当時医学生で後の主治医となる方から言われた、「今の医学では根治することはできないが、未来には新しい薬や治療方法が出てくる。その恩恵を与るためにも今より悪くならないこと。現状維持がベスト」という言葉を、今も肝に銘じながら日々勉強の毎日です。当たり前になっているペン型インスリン注射の治験(当時は1ml)を高校進学時に使わせていただいたことで、日内変動の幅を抑えられたことが、その後の合併症の抑止に大きく貢献したと思います。

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50 insulin award 2024 yano

◆髙﨑 みどり 様

インスリン治療歴54年/発症時23歳/1型糖尿病/神奈川県在住

 1970年8月、23才の時、妹と大阪万博に行きましたが、翌月9月頃から喉の乾きや体のだるさ、体重減少などが続き、病院で糖尿病と診断されました。「一生治りません」と言われた時は、どん底に突き落とされた感じでした。インスリン注射の針を自分の腿に刺すことが怖くて恐る恐るやっていましたが、針先から血が滲んで来た時に看護師さんから「ブスッとやるのよ」と潔く言われて、何とか注射することができました。糖尿病の病気自体も良く分からなかったので、本を買って読み、勉強しました。1日1200kcalと言われましたが、それを守っているといつもお腹が空いていました。
 理解のある夫に恵まれ、逆子で帝王切開でしたが無事子供を授かることができました。先生方には大変感謝しております。低血糖で救急車のお世話になったことも度々ありました。趣味の登山で山友に「インスリン注射して登山するのって凄いね」と言われた時は嬉しかったです。昔「山には行かない方が良い」と言われたことがありましたが、根底にあるのは糖尿病があっても普通の人と同じことがしたい、という気持ちです。いつか娘家族(孫2人)と富士山に登れることを願って、元気でいたいと思います。

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50 insulin award 2024 takasaki

◆北村 まゆみ 様

インスリン治療歴51年/発症時5歳/1型糖尿病/長野県在住

 発症が5歳だったため、当時の心境はあまり記憶に残っていませんが、繰り返す検査のための採血の苦痛により、泣いていた事は覚えています。また、週に一度の検査と診察のため、友達と遊ぶ約束ができずに辛かったです。あんパンなどの甘い菓子パンは食べさせてもらえず、いつも、カレーパンだったことを覚えています。
 この50年間で励みになったことは、栄養士になるために一人暮らしをし、賢明に学んだことです。その後医療機関に就職してからも、管理栄養士を目指し、就労しながら学びました。眼に障害を受けた後も、健康運動指導士の資格取得を目指して励んだことも印象に残っています。

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50 insulin award 2024 kitamura

◆伊藤 愛子 様

インスリン治療歴51年/発症時26歳/1型糖尿病/東京都在住

 私は1973年5月に2人目を流産しましたが、その後段々と痩せてきて喉が渇き、水をよく飲んでいました。市内の診療所で検査をしましたら、血糖値が600を超えていました。すぐに市内の病院に入院し、糖尿病と診断され、インスリン注射をしましょうとのことでした。私は、生きていくにはインスリンを毎日打たなければ生きていけないのだと実感しました。昔は現在のように使い捨ての注射器ではなく、煮沸、消毒を自分ですることが必要で、それも大変でした。
 子供はひとりいるので、大切に育てようと思いました。何より、夫の協力がなければ、今、生きてはいられなかったと思います。
 糖尿病の三大合併症にならないように、食事療法・運動療法・薬物療法について、自分でできる範囲ではしっかりやったと自負しています。また、友人から「糖尿病は失明する方が多い」として、「点字を知っていることが良いのでは。市内の点字講習会があるから」と勧められ、受講してボランティアの会に入会してから30年、点訳本の制作にも携わってきました。そのことが自分の生きる励みにもなりました。

◆坂口 信太郎 様

インスリン治療歴51年/発症時10歳/1型糖尿病/大阪府在住

 私は10歳発症でしたので、当時は子供心に「もう死ぬんだ…」と思いました。また、「一生注射するなんてありえない!」と絶望しました。まだ子供だったので、死にたくなるほどの気持ちになったこともありますが、今はしょうもないことを考えていたなと思っています。一方で小学生の時から小児糖尿病サマーキャンプに参加しており、キャンプの最中はそんなことも考えずに楽しく過ごせていました。
 この50年間で励みになった事は色々ありますが、簡単に言うと1型糖尿の友人や仲間ができたことです。また1型糖尿病ではない友人達ができたこともです。人とのつながりって大切だなぁと思います。

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50 insulin award 2024 sakaguchi

◆柳川 サカエ 様

インスリン治療歴55年/発症時26歳/1型糖尿病/神奈川県在住

 転勤した職場が病院でしたので、咽の渇きを訴え、検査を受けました。結果、「立派な糖尿病です」と言われましたが、身近な周りに糖尿病の人がいなかったので、信じられませんでした。知識もなかったので、「何時か治るのではないか」と思っており、理由もわからずにインスリンを打っていました。職場の方々に助けられながら、60才定年まで働くことが出来ました。
 数ヶ所の病院で治療を受けてきましたが、月に1度の診察であり、今日は良かった、悪かっただけで詳しい話や指導を受けることは殆どありませんでした。しかし、現在の病院の先生を紹介していただいてからは、いろいろと説明を受けることができ、「一緒に頑張っていきましょう」という言葉に励まされてきました。そして現在も指導を受けております。

◆M.T 様

インスリン治療歴51年/発症時15歳/1型糖尿病/埼玉県在住

 埼玉県の病院で診察を受けた際、小児糖尿病(1型糖尿病)と初めて診断され、3ヶ月間絶対安静と言われて、昭和48年(1973年)4月から6月までの入院が決まった時には、大変驚きました。そして退院の時には、「インスリン自己注射が出来るようにならないと退院出来ない」と言われて、また驚きました。さらに、「一生インスリン自己注射を続けなければ死んでしまう」と聞いた時には、大変な事になった、と思いました。
 日本糖尿病協会の月刊「さかえ」に昔載っていた、インスリン注射を長い年月打ち続けても重い合併症にならずに生きている方の記事を読んで、私もインスリン注射を自己注射し続けて行けるといいなあ、と思い、励みになりました。また、昭和48年に夏のサマーキャンプで軽い登山をして、低血糖の時の対処の仕方を教えていただいたことや、低血糖の時の補食の菓子の食べ方を教えていただいたことが、印象に残っています。

◆田所 猛 様

インスリン治療歴51年/発症時12歳/1型糖尿病/富山県在住

発症当初、親は泣いているだけで何を聞いても答えてくれず、不安しかありませんでした。自分自身で経験をしながら、すべてを解決していくしか、生きる道がなかったと思います。そんな中、糖尿病のサマーキャンプに参加することで色々と学ぶことができ、生きる道を色々と考えることができました。

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50 insulin award 2024 tadokoro

◆松平 静枝 様

インスリン治療歴51年/発症時35歳/1型糖尿病/千葉県在住

(息子さん代筆)
 母は30代半ばで1型糖尿病と診断されました。当時小学生だった私にそのことを打ち明けた時のことを今も鮮明に覚えています。これから家で毎日注射を打つこと、感染る病気ではないことを、淡々と私に話していました。長い針の付いたガラスの注射器でインスリンを注射する姿は、子供の私にもショックでしたが、それ以上に本人は大変だったと思います。人に見られることへの抵抗感から、外出することが減ったことも辛かったと思います。
 その後、ペン型の注射器や速効型と持効型インスリンの登場、世間のインスリン注射への理解も進んでいき、母は好きだった旅行にも行けるようになりました。数年前からは主治医の先生から「インスリン50年賞までもう少しですね」という言葉を励みに治療を続けていました。現在は他の疾患もあり施設に入所していますが、訪問医の先生や施設のスタッフの皆さんに支えられて穏やかな日々を送ることができています。今回の受賞もとても喜んでいます。母に代わってこの場をお借りして御礼申し上げます。

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50 insulin award 2024 matsudaira

◆M.K 様

インスリン治療歴51年/発症時17歳/1型糖尿病/福岡県在住

それまではほとんど病気になったことがなく、病院にかかったこともありませんでした。しかし高校2年生の時に、風邪だと思って病院に行ったら総合病院の紹介状をもらい、総合病院に受診すると、即入院して治療を行うことになりました。糖尿病という病気のことが理解できずにショックでした。

高校生の時は、両親にささえられて生活することができました。結婚し、普通に出産することも出来ました。出産時も内科の先生が血糖コントロール等管理してくださり感謝しています。また、現在治療してくださる先生にも感謝しています。

◆渡邉 亜依子 様

インスリン治療歴53年/発症時2歳/1型糖尿病/愛知県在住

 2歳で発症したので、診断時の記憶は全くありませんが、多くの方との出逢いがあり、今の私がいます。1型になり53年。2人の子どもたちは自立し、私はキャリアコンサルタントの資格を取得しました。インスリン抗体の影響で体調が不安定な日もありますが、職場の上司や同僚に恵まれ、主治医や近医のサポートを受けながら、大好きな仕事を続けられています。以前の私は、1型に負けたくない一心で、親や子どもたちを悲しませないために、生きていました。特別視されたくないと思いながら、自分自身が自分に偏見を持っていました。病を忘れることは出来ないけれど、自分らしく、自分のために生きることは出来る。そう気づいた時に、人生が変わりました。1型特有の生きにくさを感じることも沢山有りますが、環境が変わるのを待っているだけでなく、変わるために自分がしていけることを最近は考えています。すべての出逢いと医学の進歩、そして、苦労して産み育ててくれた母と家族に心から感謝しています。かけがえのない毎日を、大切に生きていきたいです。

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50 insulin award 2024 watanabe

◆増田 司 様

インスリン治療歴54年/発症時11歳/1型糖尿病/埼玉県在住

 1970年の年明け、11歳になったばかりの頃、私は糖尿病の診断を受けて入院し、投薬治療が始まりました。当時私はこの病がどのようなものかも判らず、ただ早く退院したいとだけ考えていました。1ヶ月半後にそれは叶いましたが、コントロールできず、7月に再入院。両親は心配して転院を決め、8月はじめに都内の大学病院へ連れて行かれます。そこで即日入院が告げられ、繰り返す入院に、私は診察室で声を上げて泣いてしまいました。さらに朝晩のインスリン注射が決まったのもこの日でした。
 この55年の間に、本当に様々な合併症や病が与えられました。糖尿病性網膜症・白内障・腎症、抜歯・感染症、重度低血糖症、コロナ感染など…。しかしその都度、主治医の先生が他の科と連絡を取り、迅速に、また適切に対処して下さいました。本当に深く感謝しています。また、腎症になってからの栄養管理は妻が毎日行ってくれています。このことがなければ、この55年はなかったと、心から感謝です。周囲の方々の支えによって生きて来られた年月でした。

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50 insulin award 2024 masuda

◆山下 陽子 様

インスリン治療歴50年/発症時16歳/1型糖尿病/福岡県在住

 発症当初は、「なぜ私が」という思いでした。その頃、糖尿病は、老人や、太った体形の方のかかる病気として認識していたので、やせ型の私としてはまったく理解できずにいましたが、大学病院での検査でそうではないと知り、納得しました。
 結婚をし、子供は生めないと思っていましたが、「子供が糖尿病になることはまずない」と医師から説明を受け、子供を生むことができ親になる事ができました。ありがとうございました。

インスリンとイーライリリー・アンド・カンパニー

リリーは、世界で初めてインスリンを製剤化して以来、糖尿病とともに生きる人のより豊かな人生のため、様々な糖尿病治療薬の研究、開発、製造、販売を続けてきた、糖尿病領域におけるリーディングカンパニーです。

糖尿病の歴史は長く古代エジプトまで遡りますが、インスリンは今から約100年前、1921年にトロント大学のフレデリック・バンティングとチャールズ・ベストによって発見され、1922年に世界で初めて糖尿病のある人に投与されました。
この画期的な薬を世界中の糖尿病とともに生きる人たちへ届けるべく、リリーはたゆまぬ努力によって高濃度インスリン溶液製剤の大量生産を実現し、1923年に世界初のインスリン製剤を一般発売しました。

その後、インスリンは医療現場に急速に広まり、多くの糖尿病のある人の命を救うとともに、ヒトインスリン製剤やインスリンアナログ製剤へ進化しながら現在も糖尿病治療の進歩に大きく貢献しています。

50 insulin award 2023